佐野寛の部屋


Memore al '98 UK en Motpeliero. ĉe TEG kunsido 1998.8.18

’98UK-RAPORTO DE SANO-FAMILIO 
---------Antau Kongreso(UK主催)-----------
7/27 ホテル Climat集合; 外人漬けでパリ5日間周遊始まる.
7/28 ☆モンマルトル・ムーランルージュ周遊ミニtrajno. ☆凱旋門など
7/29 ☆Muzeoルーブル(案内人が自由に遊覧させてくれず、不満)、
  ☆Katedraloノートルダム,☆Turoエッフェル、☆セーヌ川krozado.。
7/30 ☆Kasteloベルサイユ見学:意外に遠かった。夜:Komuna Vesper-maĝoで打上げ。
7/31・・・TGVで移動→4時間半でモンペリエに(日本の新幹線並み)
    深夜:Hotel Fr.AntigoneでJEIカラバーノに合流。
-----------UK本番---------------
8/1 午前休養。      午後:Mond-Civitana Festoのパーテイ
8/2 開会式(ビデオルームで)  午後:Montpelier ミニtrajno周遊。
    夜:JEIカラバーノの晩餐会。
8/3 朝出発:Les Bauxの洞窟で壁に地中海文明の巨大スライド上映。
   午後、大会場で 講習ビデオ試作の会:まだ中間製品.
8/4 全日ekskurso E1.Avignonへの旅。「アビニョンの橋の上で」(Sur la Pont' d' Avinjon)覚える。
     (・・・酷暑始まる。疲労しだいに溜まる)
8/5 午後発:モンペリエ南西の、乾湖・ゴール人遺跡と、運河クルーズを見る。
    夜:UK晩餐会。すぐ下の大広間でダンス(したかった)
8/6 朝出発:ワインの都Clermon l'Heraultへ。昼食ワイン飲み放題。
8/7 朝出発:Thau湖畔で恐竜パークとEcosite見学。     
    午後:そろそろ大会最後の番組へ:Internacia Arta Vespero.
8/8 閉会式  午後モンペリエのaer-haveno→パリ、Hotel Fr.Lyonで一泊。
8/9 10時半Hotel発 →ドゴール空港 →・・・→ 関西空港へ20時間。
―――――――――大会寸評―――――――――――――――――
☆連日、会報を発刊:大会登録者数、刻々に増加、3113名に達した。
  (FinnlandoUK,AustraliaUKに比べ1.5倍増)
☆各種遠足:Ĉiĉerono(地元エスペランチストのボランテイア)が、 段取り悪く・指示不明確・自己満足的で、日本人には不評。(他のヨーロッパ人E-isotoは平気な顔、これ欧州の平均的サービス水準?)
☆フランス人の「r」は日本音のルと少しも似ていない(ほとんどh^音)。一方、エルはルで充分通じる。
 他のヨーロッパ人は「r」をそんな発音しないが、さりとて困ってもいない様子、耳慣れしてるのだろうか。
☆用意したNifty Serveの仏エス数十語句集は、JEIカラバーノの中で希望者に差し上げ、喜ばれた。一方、ポーランド人が、仏エス数百語句集をパンフレットに製本して、会場で販売していました・・・さすが。
☆わが日本人エスペランチスト:仏人に対してあくまでも全部エスペラントで押し通す勇者もあり、妥協してすぐに英語で対応する人もあり(それも大概通じないが)、食堂や売店などでのEsperantistoの態度はさまざまで面白い。
☆豊中エスペラント会報告会(例会)参加者には、仏コイン(フランとサンチーム)2枚までお土産に差し上げた。
ほか、プロバンスのワイン試飲。


世界大会用に、フランス語20句公募してます(終了)

本年(1998)8月、フランスのモンペリエで開催されるエスペラント世界大会(UK’98) に参加する予定のため「大会開催国のことばを、20句ほど覚えよう!開催国への礼儀じゃないの?」 と、フランス語の典型的挨拶や頻用せリフなど、20句を、募集してます。 ・・・1月に、Niftyserveのエスペラント会議室に投稿しました。

 sed nenia respondo sur la Ĉambro en Nifty.
熊本のエスペランチストから電話があって、
「フランス語は字を書いても発音が難しくて、判らないですよ」

また東京の元ツアーコンダクターさんからは
「rを、ルと発音したら通じない。ĥに近い音ですよ」
・・・parisは、パリーではなく、 パヒーに、
・・・Franceは、フランスでなく、フハンスに。
エスペラントでしゃべっても rが ĥ に近い発音になるから、 日本人の耳で聴くとほとんど Esperantoが 「エスペハント」 に、 kongresoは 「コングヘーソ」 に近づく。

これはえらいことですね。


長浜エスペラント林間学校でのエスペラント講演「砂漠太陽電池は21世紀の地球を救うか」の 日本文・エス文の原稿(レジメ)より

1997.9.15 Friska Lernejo/Esperanta Prelego en NAGAHAMA

Ĉu DEZERTA SUN-ĈELO SAVOS NIN
C^E LA 21A JARCENTO?

 

La temoj en ĉi prelego:

★Ekspektebla vivdauro de Petrolーprovizoro -ĉe la unua duono de 21jarcento; →finiĝos.

◎nur Ŝtonkarbo ekzistos, ĉe la 22 jarcento      /sed, CO2 tro multe: →★globo-varmiĝo.

☆Do, kio estas la tauga Anstatauaĵo? →Finfine, giganta riĉfonto sur nia Terglobo =Sun-energio Dezerta

◎  ・・・Globuson, ni vidu・・・ ☆Distribuo de Sun-energio sur Terglobo :   Tropike<Subtropike>Mezvarme>Glacizone

☆Sun-radio: Tropik-arbaro<Subtropika dezerto>> >Varma herbejo>Malvarma arbaro ◎Sun-ĉela Energio = Sunradio/10   ・・・→ Dezert-Suno,◎100-oble da Petrol-provizo. ★Biomaso-produktivo=Pluvokvanto×Sunradio/100 ・・・→★Ter-surfaco jam mankas, al ni !


Problemoj           

★1.La ric^fonto=tre malproksima:10000km,Trans-oceane

★2.Sun-c^elo =tre kosta(10-oble da Petrolo, nuntempe)

☆3.estas Du brancoj selekteblj:

  (1)Per reakirita CO2→Sintezita fuelo◎

         →Transporti globe◎/Teknike de RITE(Japanio)

          =★ankorau tre kosta,

       ★malalta rikolto de Energio, probleme

  (2)Ni konsumantoj→translokiĝu ◎al Dezerta suna lando!

          →★ Popolo volos, ĉu  jes?      

  ・・・tamen, ”Trans-landlimo ”estos jam ne evitebla,

                                     en la venonta jarcento.




「砂漠太陽電池」は21世紀の救世主になるか? 主なテーマ: ★石油資源寿命は、21世紀前半で尽きる ◎石炭は, 22世紀まで持つ /しかし、CO2多発: →★地球温暖化 ☆そこで、何が,ふさわしい代替エネルギーに? →最後の巨大エネルギー資源/地球上で  =◎ 砂漠太陽 ・・・地球儀を見ましょう・・・ ☆太陽エネルギー分布/地球上: 熱帯< 亜熱帯 > 温帯 >寒帯 ☆日射:    熱帯雨林<亜熱帯砂漠>>温帯草原>寒帯林 ☆太陽電池エネルギー= 日射の10%      ・・・→ ◎砂漠太陽だけで石油の100倍 ☆バイオマス生産 = 雨量×日射/100      ・・・→ ★地表面が足りない! 

☆問題点

★1.太陽エネ資源地、とても遠い: 10000km,海外

★2.太陽電池 =  高価  (石油の10倍, 今は)

☆3.二つの選択枝:                                                                   

  (1)回収CO2により遠隔エネを合成燃料◎に替えて運ぶ

     →◎世界中に! /日本のRITEの研究技術.

      =★まだ高価、★低いエネ収率も問題                       

  (2)砂漠太陽近傍へ私達・需要者が◎移転して豊かに暮らす

     /★民意はokか? しかし、

・・・「国境越え」は、もはや不可避でしょう、来るべき世紀においては。

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